弱みにスイッチを入れられたとき

こんにちは
アダルトチルドレン癒しのワーク専門家
多次元心理セラピストの金澤です。

自分の「弱み」をつかれたとき

あなたなら、どんな反応をしますか?

身近な人や肉親は、
あなたの弱いところをよく知っていますよね

その弱みに スイッチを入れることが
簡単にできます。

スイッチを入れられると、
あなたは、前と同じように
反応してしまうことでしょう。

あなたが、
長い間、 積み重ねてきた
古い反射的な行動は、
なかなか変わるものではないですよね。

かかってくる電話一本、
目つき一つ、
言葉の一言が
あなたの心身のバランスを 崩します。

あの人たちの
自分への評価を 変えようとするのはやめて、

あの人たちの
不健全な行動パターンから
 自分を切り離しましょう。

あの人たちの行動パターンは、
 あの人たちのもの。

その行動パターンに、
どのように反応していくか、
どのような影響を自分の中に、
 取り入れていくかは
 自分のもので、
 自分で決めることです。

相手に振り回されないで
自分で決めることです。

相手に振り回されないで
自分で判断し、
決定していく力を
身につけていきましょう。

沈黙の時をもち、魂と体を休める

こんにちは
アダルトチルドレン癒しのワーク専門家
多次元心理セラピストの金澤です。

普段、何かと忙しくしているあなたへ

一定の時間をとって
沈黙の時をもってみませんか。

静かに沈黙の時をもち、
魂と心と体を休めてみると、

自分の心臓の音、
呼吸の音、
まぶたの開け閉めなど、

いつもは気がつかない
体の動きに気がつきます。

考えてみると私たちの体って、
それ自体が奇跡だと思いませんか?

何もしないのに心臓が動き、
血液が体中にめぐり、
食べ物が消化されエネルギーに変わり、
考えたり、
見たり、
聞いたり、
動いたりしてくれています。

こんな奇跡も、
乱雑に扱うと、
疲れてボロボロになってしまいます。

あなたの体に
「ありがとう」を言い、
時々休ませてあげましょう。

または、一日の終わりに
あなたの体、内臓一つ一つに
ねぎらいの言葉をかけてみてください。

奇跡が起こるかもしれません。

呼吸に注目してみましょう。

ひとつしかない体です。

沈黙の時間をとって、
大切に尊敬の念をもって接しましょう。

自分に与えられているものを見る

こんにちは
心理セラピストの金澤です。

もし、あなたが
あなたの手に与えられたものを
ちゃんと見ず、

他人の手に与えられたものを
「いいなぁ 欲しいなぁ」と
羨ましがるならば

あなたの心の静けさは

バラバラに

壊れることでしょう。

どうぞシェアしてください。

人生には拒否はつきもの

こんにちは
アダルト・チルドレン”癒しのワーク”専門家
多次元心理セラピストの金澤です。

世の中には、
どんなに頑張っても、
拒否されるときはあるものです。

欲しかった物が手に入らなかったとき

愛して欲しい人に拒絶されたとき

行きたい学校に受け入れてもらえなかったとき

訪ねたい相手に都合が悪いと言われたとき

仲間はずれにされたとき

職につけなかったとき

昇進できなかったとき

あなたならどうしていますか。

「自分はダメだ」とがっくりして、
うつに落ち込み、
動きが とれなくなってしまいますか。

それとも、
拒否した相手を恨み、
怒りをぶつけますか。

はたまた、
自分を責めて虐待しますか。

こんな方もいらっしゃいますね。

食べ物、アルコール・薬物などに走って、
感情をマヒさせている人。
 
依存症ですね。

拒否されたとき、
自分が最悪な状態にならないよう
きれいに拒否されましょう。

しばらく涙を流した後は、
学ぶことがあったら学び、
変化しなければ ならないことは、
勇気をもって変える。

ということに 気づきましょう。

気づきこそが ”ヒーリング”です。 

そして胸をはって、
自分を変えていく取り組みを始め、
前に進みましょう。

拒否のされ方を覚えると、
恐れが消えていきます。

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「犠牲者のパターン」痛みに対する感情の反応

こんにちは
アダルトチルドレン癒しのワーク専門家
多次元心理セラピストの金澤です。

アダルトチルドレンのパターンで、
見捨てられ感を味わった子どもは、
「自分はもともと何かいけないんだ」という
恥に満ちた自己否定のメッセージを心に刻みます。

「なされるがまま」の犠牲者的パターンは、
自分の感覚を信じない態度を身につけ、
他人の感覚の方が間違いないと思っています。

この人たちは、
疑うという道具を放棄してしまい、
他の人が「物事はこうなっているんだ」と言うと、
いともやすやすと同意してしまう。

犠牲者は質問をすることをしません。

自分の価値を信じていないため、
自分を守ったり、
健康を維持したり
安心できる状態で過ごす
といったニーズが
自分にあることさえわからないことが多く、

結果、自分の面倒を見ることができません。

怖れによって動かされていて、
傷ついても失望しても、
虐待されてもなお、
怒りや憤りといった感情を
認知することができない。

何が必要か、
何が欲しいのかと
聞かれても、
まったく分からないことが多い。

状況に降参し自立を放棄してしまえば、
さほどひどい痛みを感じなくてもすむだろうと
思いこんでいる。

犠牲者は、
痛みにひたすら耐え、
他人の理不尽な行動に耐えることに
慣れてしまっています。

あなたはそうではありませんか?

日々の出来事や感情に対して、
無理な理屈で自分を納得させたり、
大したことではないと切り捨てたり、
あるいは、たんに事実を認めなかったりする
訓練を重ねることで、
自分自身から感情を切り離している。

こうした人は、
他人とつきあおうとしない場合もある。

一方、犠牲者であることを
周囲にアピールする場合もある。

「私がどんなにひどい目にあってきたと思う?、
私にこんなことするなんて、
本当にひどい人たちよね!、
私はじっと耐えるしかなかったのよ」と
犠牲者でいることが、
生き方そのものとなっている。

安全や安心を得られるような行動を
とることができず、
さらに見捨てられたり
虐待される結果を招いてしまう。

特徴的なのは、
その人の、自己否定感が強ければ強いほど、
さらに自己否定感をもたらすような
相手を人生に招き入れやすい
ということが言える。

その相手は、
一見、能力があって行動的で、
一緒にいれば弱い自分を守ってくれそうな
感じの人なのです。

けれど、こうした二人の行き着く先といえば、
魅力的だった相手が
支配者となって、
犠牲者を情緒的にも身体的にも
打ちのめす結果になることが多い。

自己否定感の強い日とは、
繰り返し犠牲者となるキケンが大きい。