健全な愛を受け入れよう

こんにちは、多次元心理セラピストの金澤です。
いつもブログを読んでいただきありがとうございます。
今日のテーマは、
「健全な愛を受け入れよう 」です。 
他人からの愛を
受け入れましょう。
他人からの愛を
受け入れる機会が
なかったら、
どうして自分が
本当に他人を
愛せるでしょうか。
愛されるチャンスが
少なかったら、
愛のメッセージが
わからないのは当然です。
愛と共依存を
きちんと
区別しましょう。
愛は、おだやかで
心をなごませます。
自分と相手が
成長していくの
がわかります。
共依存は、
胸がドキドキして
落ち着きません。
しがみついて相手から
離れられなくて、
いつも相手が
気になります。
他人から愛をもらう
練習をしましょう。
相手が共依存でない愛を
くれるとき、
心を開きましょう。
自分を防衛して
与えられる愛を
さえぎってしまわないよう、
少しずつ
自分の中に
受け入れてみましょう。
受け入れたとき、
どんな感じがしますか。
「あなたなしでは、
生きられない」と
言われて有頂天になったら
それは、共依存の愛です。
近づけば近づくほど
尊敬心が増し、
自分の弱みを出しても
安全が感じられ、
自分を失うことがない
感じがするのが健全な愛です。に

過去世からの残骸

こんにちは、
多次元心理セラピストの金澤です。
いつもブログを読んでいただき
ありがとうございます。
本日のテーマは、
「過去世からの残骸」です。
生きるプロセスで、
人の心は傷ついたり、
怒りを抑え込んでいたり、
悲しみに堪えたりと、
過去からずっと
そうした感情を
どこかに
押し込めていたりします。
また、
いろいろな欲望が
かなわずに、
イライラや無念の思い、
あるいは好き嫌いの思い、
様々な学びや思い込みなどが
記憶やストレスとして抱えられ、
それらが湧き上がっては沈下して、
体や心のどこかに残骸として
残っています。
そして、それらが社会において、
人間関係のなかで刺激され、
自己防衛としてエゴが、
葛藤した機会に
再び湧き上がります。
私たちの人生ではこのことが
繰り返されているということを
自覚することこそが
あなたが
よりよく生きる第一歩です。

欲望というエゴ!

 こんにちは、多次元心理セラピストの金澤です。
いつも「アダルトチルドレン癒しのワーク」に訪問いただきありがとうございます。

私たちの心の中にある、
うごめく「欲望」に向かって、

たとえ、世界中のお金を
シャワーのように降らせてみても、
「欲」が満足することはないんです。

「欲」は
満足するどころか、
快感が生じたのちに
だんだん空しくなり、苦しくなる。

苦しくなって、ムズムズしてくるために、
それを静めるために私たちは

さらに何か別のものが欲しくなり、
欲望がうごめきだす。

欲望の実現によって得られる
脳内の快感反応は
ほんの一瞬のものにすぎません

その後は、禁断症状のように
空しさや不安がやってきます。

「欲望とは、苦なり」と体感したならば、
最高の楽しさを「欲しい欲しい」と求める心が静まる。

この「欲しい欲しいと泣き叫ぶ
心の寂しさを静めるために」

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他人の目を気にしすぎないようにしましょう。

こんにちは、多次元心理セラピストの金澤です。
いつも「癒しのワーク専門家」へ訪問いただきありがとうございます。

   

他人の目を気にしすぎないようにしましょう。

もちろん、他人の迷惑になるようなことはしてはいけないし、
他人に対して思いやりをもつことは 必要ですが、

いつもいつも他人の意見を重視しるあまりに、
自分の意見を忘れてしまい、
自己を見失ってしまってはいけあせん。

小さいときから

「よその人に笑われるよ」
「他人が何と言うか」と、

つねに言われて育つと、

自分のことより他人の批判が気になって、
他人がどう思うかと心配し、
外面をよくすることばかりにとらわれて、
中は空っぽということになりがちです。

これが習慣になると、
「さて、自分はどう思うか」と問われたとき、
何も出てこないということになってしまいます。

他の人にどう思われるかという考えが出てきたら、
「自己指向!」という忠告の言葉を口に出して、
習慣を破りましょう。

そして、「自分の意見はどうなのか」を、
少し時間をかけて育てていきましょう。

自分の意見を重視できると、
最終的には他人の意見も、
その人の意見として尊重しながら
聞くことができるようになります。


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これが習慣になると、
「さて、自分はどう思うか」と問われたとき、
何も出てこないということになってしまいます。

他の人にどう思われるかという考えが出てきたら、
「自己指向!」という忠告の言葉を口に出して、
習慣を破りましょう。そして、
「自分の意見はどうなのか」を、
少し時間をかけて育てていきましょう。

自分の意見を重視できると、
最終的には他人の意見も、
その人の意見として尊重しながら
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完璧主義者

こんにちは、多次元心理セラピストの金澤です。
いつも「アダルトチルドレン癒しのワーク専門家」に訪問いただきありがとうございます。

今日のテーマは「完璧主義者」です。


もし完璧に行動していれば、誰からも批判されないし、
だとしたらこれ以上傷つく理由もなくなるはず
という信念によってあおられた考え方です。

けれども、子ども時代に
「どんなにがんばっても、まだ十分ではない」ことを
学んでいる場合、

完全主義は自己否定感を土台にしています。

その結果、
自分は、これでよいと感じられるようにして
痛みの原因を減らそうとする戦いは
限度がなくなり、いつも人より優れているよう、
常に一番になるよう邁進し続けることになる。

完全主義に凝り固まった人というのはたいてい、
厳格で硬直的な家庭環境に育っています。

親に認められるため、
あるいは拒絶される不安を減らすために、
物事を「正しく」やらなければならなかったのです。

そして「正しい」とはつまり、
間違いはひとつも許されないという
意味だったのです。

完璧主義者のほとんどは、
心の中に限度というものの感覚がありません。

自己否定感や怖れが
四六時中背中を追い立てているので、
常に時分がどこまでやれたかを
外側の基準で計っています。

子ども時代、
彼らは努力して前に進めと教えられました。

一休みする時間も場所もなかったし、
喜びや満足を味わう暇もなかった。

完璧に基準をおくということは、
あなたは決してそこに達しないということです。

子ども時代に、おとなからされてきたことを、
心の中で自分にやり続けているのです。

いくらあなたが努力しようと充分でなく、
よくできたと感じる体験をしていないのならば、
あなたは「どれくらいならよいのか」という
感覚を身につけていないはずです。

大人になった私たちは、
自分がかつてどんなことで認めてもらおうとし、
感心を向けてもらおうとし、
ほめてもらおうと必死になってきたか、
気づく必要があります。

私たちは全力を尽くしてきたし、
自分は本当にこれでいいのだと
理解することが必要なのです。

受け入れてもらえないと感じ続けてきたのは、
私たちに価値がないからではありません。

外側から評価を下し、
拒絶するぞと脅かすことで
力を手に入れようとしていた人たちが、
こころにおいていった残骸なのです。

子どもの時にはわからなかったけれど、
今はそのことを認めることができるはずです。