(AC)境界があるかどうかで体験の意味が違う

親が子どもの境界を尊重せず、
境界に侵入するとき、

 

子どもには、一人の人間としての
価値がないというメッセージを
与えていることになります。

 

親が子どもの境界を、
認めないということは

 

「あなたは親である私のニーズを満たすためにここにいる」
「あなたより親の私が優先だ」
「あなたが自分なりの感情や、ニーズを感じるのはよくないことだ」

 

と言うメッセージを
与えているのと同じことです。

 

すると、子どもの中で
こんな信念が形づくられます。

 

「人とは別のニーズや感情をいだいてしまう私はいけないんだ」
「ありのままの私には、価値がない。」

 

同じような場面を体験しても、
子どもの中に、
しっかりした境界がつくられていれば、
体験の意味がまったく違ってきます。

 

誰が何に責任を負うのかが
区別できれば、自分を傷つけるメッセージを
信じこむかわりに、拒否することができるのです。

 

・境界があれば、
 自己否定感の攻撃を受けずにす見ます。

 

・境界がないと、
 見捨てられ体験は決定的な痛みを生む。

 

子どもはもともと、親が間違っているとか、
親の行動は、正しくないといったようには
考えないものです。 

 

子どもは、自分にとって、
どうしても必要な存在である親を
拒否することはできないものです。

 

その代わり子どもは、自分が間違っていて、
悪いんだという重荷を背負い込んでしまいます。

 

そうすることで、親の間違った行動を
なかったことにし、少しでも安全を感じようとします。

 

その奥で本当は何が起こっているかといえば、
外側の安全と引き換えに、
心を危険にさらしているのです。

 

自分の価値を、育てて行くはずの時期に、
見捨てられ体験にさらされ、

 

しかも、

 

その子が、自分の中に
境界を確立するチャンスがなければ、
見捨てられたことがすなわち
「自分に価値がない」と
言い聞かされることと同じになります。

 

それは、自己否定感と、怖れを作り出します。

この事実は何度も確認しておく必要があります。

 

なぜなら、それが私たちの
「痛み」の根っことなっているからです。

 

私たちが今、知っておかなければならないのは、
見捨てられ体験も境界の侵害も、
決して私たちの欠点が原因ではないし、

 

私たちが無価値だからでも
ないということです。

 

そうではなく、私たちを傷つけた人の
間違った考え方や、誤った信念、
不健康な行動がそこに現れているのです。

 

それでも、その傷は、子どもの心と思考に
深く刻まれて、私たちは、
今も、その痛みを感じています。

 

癒されるためには、
心が傷ついた原因を理解し、
受け入れることが必要です。

 

それをしない限り、痛みは去らず、
おとなになってからの人生を
引きずりまわすものとなります。

さあ、一緒に取り組みませんか
自分自身の心の成長をするために!
http://mentalhealingroom.com/spiritual/taiken/

 

 

条件付の愛情

こんにちは、アダルトチルドレン克服専門セラピストの金澤です。
 
 
本来、親というものは子どもに無条件で愛情をそそいで欲しいものですよね。
 
 
そうあってほしいと誰もが願い思っていることでしょう。
 
 
しかし、世の多くは親の愛情が無条件の愛ではなく、
 
 
何らかの付帯義務を負わせる「条件付きの愛」であることに気づかされます。
 
 
これが継続的に行われている家庭では、子どもはどう育っていくでしょうか?
 
 
子どもは、親の愛を受けるために、常に親の意向に従わなければなりません。
 
 
親との関係を維持していくために生きるようになります。
 
 
この時点ですでに親子関係は、不健全であるといえます。
 
 
主に幼少期からこうした手段が用いられ始め、子どもの精神を支配する手段として愛情を制限する。
 
 
また、親による子どもへの単純命令を回避する手段としても用いられています。
 
 
この手段は、子どもが成人する段階になっても継続され、引き続き成人した子ども(Adult Children)の心を支配します。
 
 
実は、この状況は非常に多くの家庭に存在しています。
 
 
子どもは常に不健全な状況にさらされているといえるんです?
 
 
しかし、周囲からは一見してこのような家庭は、何ら問題のない普通の家庭として認識される場合が多く、
 
 
「条件付きの愛」は、しつけや教育に置き換えられてしまっています。
 
 
しかし現実に、無条件の愛を常に実行できる親はこの世にどれだけいると思いますか?
 
 
私は、大小あれどほとんんどは、親のエゴのもとで育てられていると思います。
 
 
健全な家庭を目指すためにはいったいどうしたらよいでしょう?
 
 
親を罰したらいいでしょうか?
 
 
それで、いまさら謝ってくれるでしょうか
 
 
親も親の言い分があるかもしれません。
 
 
では、どうしらいいでしょうか?
 
 
本当は、どうなりたいと願っているでしょうか?
 
 
今の自分は、何が問題なのでしょうか?
 
 
その答えを知りたい方は是非、体験セッションにきてください。
http://mentalhealingroom.com/spiritual/taiken/
 
 
 
 
 

すべての他人は、あなた自身を映す鏡

「鏡の法則」ってご存知ですか?

「すべての他人は、あなた自身を映す鏡」
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 

あなたが人に接することで、
気づくきっかけをもらえるのは、
「感情」のパターンだけではないんですね!

 

あなたの中にある、
凝り固まった考え方であったり、
思い込みであったり、
定型化された価値観といったものにも
気づかせてくれています。

 

ある人に対して、
「この人は意地悪な人ね」と思っているとしたら、

その人の本質が意地悪な性分というわけではなく、

単にあなたがその人を
「この人は意地悪な人間だ」という目で
見ているにすぎないのかもしれません。

 

では。

こんな時、どうしたらよいでしょう。

 

ある朝、Aさんあが会社に行ったら、
普段は掃除をしない、
人任せにしている同僚Bさんが、
率先して掃除をしているのを目撃しました。

 

「あら、珍しい」
そう思ったところ、
いつもはいない社長が
すぐ近くにいることに
気づいたそうです。

 

その瞬間、

Aさんの心に、
ある思いがよぎりました。

 

「普段は掃除なんてしないのに、
社長にいいところを見せたいから、
今日だけまじめに掃除をしている」

 

そう思った途端、

Aさんは、
なんだか無性にイライラして、
その日はずっと不愉快な思いを
抱えたまま一日を過ごしました。

 

この状況を
よ~く考えてみましょう。

 

「掃除をする」という
行為自体は中立ですよね。

 

むしろ皆が心地よく
仕事ができるようになる
よい行いです。

 

近くにたまたま社長がいた だけで
Bさんはもちろん
善意から掃除をしていたのかもしれません。

 

あるいは、
とにかくその日はやりたい気分だったから
掃除をしたのかもしれません。

 

ですがAさんは
「掃除をしているBさん」と
「社長」の存在を結びつけ、
「いいところを見せようとする」と
無意識のうちにBさんをジャッジしていた
ということになります。

 

Aさんには、
Bさんに関するある種の悪い印象が
植えつけられていたのかもしれません。

 

もしくは、
そのほかの要因があったのかもしれません。

 

「自分がよく見られたい」という
Bさんのエゴを敏感に感じ取って、
反発を覚えたのかもしれません。

 

あるいはAさん自身にも、
「上司によく思われたい」というエゴがあり
「Bさんに先を越された」と
イライラしてしまった可能性もあるでしょう。

 

何が引き金だったかは、
Aさんしかわかりません。

 

どれか一つということではなく、
すべてが複雑に絡み合っている
可能性もあるでしょう。

 

このように、
私たちが思ったり、
考えたりしていることは、
必ずしも「事実」と一致するわけではない

ということを知っておきましょう。

 

単に自分の
過去の体験に対する印象や
価値観で
世界(相手)を見ている

ということ

 

そのことに気づかず、
人は無意識のうちに
「こうあるべきだ」
とい思い込み
   ^^^^^^
いくつもしているのが
現実です。

 

「こうあるべきだ」に
そぐわない人やものを
「あの人はダメだ」
「こういう行動は正しくない」と
一方的にジャッジし、
非難しているようです。

 

一度、湧き上がった思いは、
「あれはダメ」
「これはいや」
「こうすべき」
「あの人とは合わない」
といくつもの
思い込みを振りかざし
「NO」という
エゴを突きつけていれば、
当然、人間関係はうまくいくはずはありませんよね。

 

いつの間にか、
自分の周りは敵ばかり、
愛がないマインドの思いに
ほんろうされて、
思い通りにいかないことばかりに
なってしまっていませんか?

 

あなたがどんな思い込みを
持っているか
については
自分自身ではなかなか
気づけないものです。

 

それを浮かび上がらせてくれるのが
「他人」という「鏡」です。
^^^^^^^^^^^^^^^^

 

他人に対して思ったり、
考えたりしたことは、

そのまま、

あなたが相手を、
ひいてはこの世界を
どのように見ているかが現れている

と分かってくるんですね。

 

「私は、〇〇さんをこういう人間だと思っている」
「私は、こういう人間だ」
「私は、こういうふうに見られたい」
「女性/男性はこうあるべきだ」
「母親としてこうあるべきあ」
「会社は自分にこうしてくれるべきだ」

 

他人を通して見た時、

初めて
「ああ、自分はこういう考え方を持っているのか」

「こんなふうに考えやすい傾向があるのか」

ということが、次々と見えてきます。

 

まったく思いもよらない自分の一面に驚いたり、

落ち込んだりするかもしれません。

 

こうしたマインドの産物である
「思い込み」
おびただしくあり、
それをひとりで外すことは
容易なことではありません。

 

マグマのような内側の
自己防衛の思いは、
限りがありません。

 

芋づる式に引き出される
「思い」とその心の言い訳や攻撃は、
聞くに堪えないものです。

 

だからこそ、
自分の中の「思い込み」を外すために

 

様々な心理療法やヒーリングスタイルがあります。

 

しかし、この自分の中の「思い込み」を
外していく取り組みは、

 

言ってみれば、
パンドラの箱を開けるようなもの

 

ほとんどが、
自分の「心」にほんろうされてしまいます。

 

触らぬ神に祟りなし
といった感じ!

 

なので、
自分自身に対するそうとうな「覚悟」、「意志」が必要です。

 

しかし、心配はいりません。

セラピストのガイドをしっかり受けながら
進めていけばよいのです。

 

自分の中の「思い込み」を手放し、
「ただありのままに見る」
ということができるようになるために

 

是非、メンタルヒーリングルームが
勧めている「アダルトチルドレン克服プログラム」をお試しください。

 

こちらで詳しい内容の説明をしています。

セラピー体験セミナー(対面&スカイプ)

体験セッション

 

毒親に謝罪を求めても逆効果!・アダルトチルドレン克服

こんにちはアダルトチルドレン克服専門セラピストの金澤です。

 

親に過去の態度や仕打ちを謝罪してもたうとも効果アリですか~?
というご質問をいただくことがあります。

 

たしかに、アダルトチルドレンの心の根源にあるのは、
親への怒りだったりすることは、よく言われます。

 

もし可能なら、親がかつての過ちを詫びて、許しを求めることで、
はたして、そのアダルトチルドレンを克服する一助となるのかどうか?

 

アダルトチルドレンは、世代間で連鎖するとも言われます。
それを断ち切るにはどうしたらよいかがポイントですよね。

 

アダルトチルドレンを克服していくプロセスで、
親に手紙を書くなんてやり方があります。

 

この手紙を書く目的というのは、
親を変えるためではないんですね。

 

今までの自分のことをまとめることが重要なんですね。
自分自身にある心の傷と向き合う作業のひとつなんですね。

 

他人を変えるのってものすごく困難なこと。

 

親が謝罪とはいかないまでも当時を振り返って、
あなたと話をすることで、
お互いの誤解や思い込みが解けて、
相互に理解しようという方向になればいいですが・・・

 

そんな気分にはたしてなれるでしょうか?

 

親は素直に話を聴いてくれるでしょうか?

 

親は自分の弁解を始めたり正しいことをしただけだと
主張したり不快感を示すだけだったり、
色々な身勝手な反応をするかもしれませんね。

 

そんなときに、あなたがそれを受けとめて、
親と私は別個のことを考えて生きる存在なんだと
認識することができるのであればよいですが。

 

心の傷が癒えていないままの状態で、
いろいろやっても逆効果でとてもキケンなことなのかもしれません。

 

アダルトチルドレンを克服していくキーポイントは
「親の価値観のコピーからの脱出しましょう」です。

 

他人を変えることではなく、
自分の方が捉え方を変えることが主眼なんですね。

 

親に謝罪させることは目標ではありません。

 

過去のことを過去のこととしてちゃんと片付けて、
今の自分の問題に目を向けられるようにすること。

 

このことがセラピーの目的でもあり、
アダルトチルドレンを克服していくことになるんですね。
過去のことを過去のこととしてちゃんと片付けて、
今の自分の問題に目を向けられるようにすること。

 

このことがセラピーの目的でもあり、
アダルトチルドレンを克服していくことになるんですね。

 

体験セッション