笑い

こんにちは、
多次元心理セラピストの金澤です。

いつも、ブログを読んでいただき
ありがとうございます。

本日のテーマは、「笑い」です。

笑顔って、
しばしば何かをごまかすために
用いられるケースがあります。

うまくいかない時、
苦境に立たされている時に
自分をガードする側面が強い。

人が最も幸せな瞬間は
すっきりリラックスした
表情になるもしくは、

穏やかな微笑です。

笑いというのは、
非常に刺激が強い状態です。

特に大笑いしている時は
かなり興奮しますよね。

テレビのお笑い番組に
人気があるのは
世の中に

強いストレスがあり、
笑いという
より大きな刺激を与えることで、
現実のストレスを
打ち消そう、
忘れようとする
潜在的な願望があるから

その笑いは、
たいてい三つの「毒」の
どれかから成り立っています。

1.他人の失敗を馬鹿にする
 優越感による笑い

2.ツッコミを入れる攻撃性=
「怒り」への感情移入による笑い

3.不条理な言葉や振る舞いにより
 生じる混乱=「迷い」による笑い
 ぼんやり画面を見ていると、
 欲・怒・迷の煩悩を
 刷り込まれてしまう
 性質を持っている。

笑いには、
「皆が笑っているから
自分も笑わなければ、
仲間外れにされてしまう」

という恐怖感にもとづく、
同調圧力も含まれている。

心から楽しく
穏やかな気持ちで
笑っているのであれば
よいのですが、

嘲笑いや苦笑いは、
人を攻撃して、
怒りを笑いに
変えている状態ですから。

よく観察してみると、
その表情はひきつり、
笑い声は甲高く
下ます。

引き寄せ

こんにちは
多次元心理セラピストの金澤です。。
いつも、ブログを読んでいただきありがとうございます。

今日は、「引き寄せ」について

嫌な気持ちは
嫌な気持ちを
起こさせるものを
次々と引き寄せます。

すべての

思いと
行為と
その結果の体験を

カルマといいます。

すべてのカルマは

心と体に
記憶されています。

生まれてから
現在までと

さらに生まれる前の
過去生の行為も
すべてです。

何をしてもダメな時

こんにちは
多次元心理セラピストの金澤です。

いつも、ブログを読んでいただき
ありがとうございます。

今日のテーマは、
「何をしてもダメな時」です。

他人の感情との境界線を
大切にしていますか?

まわりにいる人たちの感情に
のめり込んでいませんか?

むっつ りしている人、
機嫌の悪そうな人、
暗い顔をしている人を
笑わせようとしていませんか。

プレゼントをしたり、
どこかへ連れて行ってあげたりして、
こきげん取りに夢中になっていませか。

怒りをぶちまけている人、
怒鳴り散らしている人、
口には出さなくても
態度でイライラを示す人、

ドアをパターンと閉めたり、
ものを投げつけたりする人を見て、
なんとかなだめようとして
説き伏せたり、

お茶をいれてあげたり、
ハラハラしながらも
側から離れられないで、
その人の感情を変えようと
していませんか。

他人が憂うつなとき、
怒っているときは、
何をしてもだめなものです。

そっとしておきましょう。

その人が助けを直接、
真剣に求めているときは別として、
自分が空回りしてしまうだけです。

私の心が思ったことの集合体!

こんにちは
多次元心理セラピストの金澤です。

いつも、ブログを読んでいただき
ありがとうございます。

今日のテーマは、「私の心が思ったことの集合体」です。

私という存在は、
過去に「何を考えたか」によって、

その考えたり
感じたりした内容が、
ひとつひとつ心に蓄積され

ミックスされた結果の
つぎはぎとして、

今、ここに立っている。

すなわち私とは、
これまで私の心が
思ったことの集合体。

私がイヤなことを思うなら、
少しだけイヤな
カルマのエネルギーが
心に刻まれ、

そのぶんイヤな私に変化する。

私が優しいことを思うなら、
少しだけポジティブな
カルマのエネルギーが
心に刻まれ、
そのぶん温かい私に変化する。

こうして私たちは、
心で思ったとおりの
ものへと少しずつ変化してゆく。

すべては、
心が思うことから生まれ、
すべては
心が思うことによって創られる。

ゆえに、ネガティブな心によって
イヤな話をしたり、

ネガティブな心によって
イヤな行動をしたりするならば、

必ずや、
苦しみが
自分についてくるでしょう。

やさしくポジティブな心で
話したり行動するなら、

必ず安らぎが
自分についてきます。

そう、
影が君の歩く後ろから
必ずついてくるかのごとく。

過去のことは、過去のこととして

こんにちは
多次元心理セラピストの金澤です。

今日のテーマは、
「過去のことは、過去のこととして」について

私たちの人生で、
必ず通る道があります。

入学、出会い、卒業、別れ、
旅立ち、就職、離職、結婚、
出 産、離別、老い、親の死、
大切な人の死、別れ、等な ど・・・・・・・・

その時々で感じる感情、感覚は
その時々の時点で
整理し終わらせなければ、
後あともずっと引きずっていき、
自分自身つまらない
人生になっていくような
気がわたしはしますが、
みなさん はどう思いますか。

その時々で、
しっかり悲しんでおかないと
あとあとこれからの人生の中で
自分らしく振舞えないことが
多くなる可能性が
あるのかもしれません。

気持ちや感情、感覚は、
その瞬間、その時々で
しっかり感じて あげないと、
いつまでも体の中に
エネルギーブロックとして
張り付くことになります。

その瞬間、
その時々の自分の気持ち
分かっていますか、
察知し ていますか?
自分の内側に湧き上がっている
気持ち、感情、感覚を
表現でき ていますか?

できていないとしたら、
なぜだと思いますか。?

「嫌われるから」
「何か無くなると思っているから」
「一 人ぼっちになると思っている」
「怖いと思っているから」
「恥だと思っている」
「恥ずかしい」
「言わなくても分 かっていると思っている」
「こんなふうに思われてしまうか ら」
「いい人だと思われたいから」

わたしたちは、
自分の気持ち、
感情、感覚というものを
抑圧、 我慢してしまうクセが
どうもあるみたいです。

だから、その 瞬間、その時は
分からなくても、
後からこみ上げてくることが
多々ありますね。

後から悲しくなるとか、
後から悔しさがこみ あげてくるとか、
後から怒りがこみあげてくるとか・・・。

でも、
どうしようもできないですよね。

人によっては、
そういう気持ちは感じたくないから、
何かをす ることでごまかす
ということをする方も少なくありません。
(依存行為)

「別に・・」
「なんとも思ってないから平気」
「気にして ないから」
「しょうがない」

本当に・・・・・・?

自分の素直な気持ちを
ごまかしているとと、
溜まりにたまって
いつかあふれ出てしまうことに
なるかもしれません。

矛先が、他者に向かうと
キレルということに
なるかもしれませ ん。

矛先が、自分に向かうと
鬱という形になるかもしれません