アダルトチルドレンとは

孤 独

こんにちは、多次元心理セラピストのの金澤です。
いつも、「アダルトチルドレン癒やしのワーク専門家」にご訪問いただきありがとうございます。

本日のテーマは「孤独」です。

私たちが情緒的な孤独の中で、
生きることを身につけてしまったのは、

本当のことを話せなかったためです。

家庭内での、情緒的孤立は、
家の外でも、孤立をもたらすことが多いものです。

私たちは、自分の痛みや家族の痛みを
他人に知られましとします。

もし、他人が知ったら
どんな反応をするかが不安です。

そして、大人になっても
ぽつんと一人でいたり、
あるいは本当の感情や考えを隠したまま
熱心に、人付き合いをしたりします。

「話すな
」「感じるな」
「信頼するな」

のル ールが私たちを孤立させるため、

一見社交的にふるまっていたとしても、

それは表面的なものに過ぎません。

 

トラウマ

こんにちは、多次元心理セラピストのの金澤です。
いつも、「アダルトチルドレン癒やしのワーク専門家」にご訪問いただきありがとうございます。

今日のテーマは、「トラウマ」です。

自分の近くで、知っている大人の言い合う声がしている。

よ~く聞いていると なんだかかみ合っていない

よくある内容の話しである・・・

今、行おうと思って検討していたあたり、
前のわかりきった内容の事を指摘されたというもの

小さい頃、よくあったシチュエーション 
親に指摘されて、
「今、やろうと思っていたところなのに そんなに怒って言わなくても」・・
といった感じ

当事者ではないけれど、
隣りで聞いている者も、何かイヤ~な感じを味わってしまう。

起こっていることを客観的に
ありのまま捉えれば、
お互いにちゃんと「聴く」ことをすれば
事は簡単にすむことなのに

なぜ、言われたほうも、言ったほうも、
横で聞いていたほうも不快な感じを
味わうはめになってしまうのだろうか。

なにか、小さい頃に親との関わりの中で
身につけたパターンを
大人になってもまだなお繰り返しているようである。

そのパターンが、自分にとって本当に
役にたつやり方なのでしょうか。

日常生活においても、
何か不快な感じをもった瞬間があったならば

過去のシチュエーションを
イメージしてみるのもいいかもしれません。

おわり

他人の愛を受け取りましょう。

こんにちは多次元心理セラピストの金澤です。
いつも、「アダルトチルドレン癒やしのワーク専門家」日本ご訪問いただき、ありがとうございます。
今日のテーマは、他人からの愛を受け取りましょうです。
他人からの愛を
受け入れる機会が
なかったらどうして
自分が本当に他人を
愛せるでしょうか。
愛されるチャンスが
少なかったら、
愛のメッセージが
わからないのは当然です。
愛と共依存を
混同しているかもしれません。
愛は、おだやかで
心をなごませます。
自分と相手が
成長していくのが
わかります。
共依存は、
胸がドキドキして
落ち着きません。
しがみついて
相手から離れられなくて、
いつも相手が気になります。
他人から愛を
もらう練習をしましょう。
相手が共依存でない
愛をくれるとき、
心を開きましょう。
自分を防衛して
与えられる愛を
さえぎってしまわないよう、
少しずつ自分の中に
受け入れてみましょう。
受け入れたとき、
どんな感じがしますか。
あなたなしでは、
生きられない」と
言われて有頂天になったら
それは、共依存の愛です。
近づけば近づくほど
尊敬心が増し、
自分の弱みを出しても
安全が感じられ、
自分を失うことがない
感じがするのが
健全な愛です。

「犠牲者のパターン」痛みに対する感情の反応

こんにちは
アダルトチルドレン癒しのワーク専門家
多次元心理セラピストの金澤です。

アダルトチルドレンのパターンで、
見捨てられ感を味わった子どもは、
「自分はもともと何かいけないんだ」という
恥に満ちた自己否定のメッセージを心に刻みます。

「なされるがまま」の犠牲者的パターンは、
自分の感覚を信じない態度を身につけ、
他人の感覚の方が間違いないと思っています。

この人たちは、
疑うという道具を放棄してしまい、
他の人が「物事はこうなっているんだ」と言うと、
いともやすやすと同意してしまう。

犠牲者は質問をすることをしません。

自分の価値を信じていないため、
自分を守ったり、
健康を維持したり
安心できる状態で過ごす
といったニーズが
自分にあることさえわからないことが多く、

結果、自分の面倒を見ることができません。

怖れによって動かされていて、
傷ついても失望しても、
虐待されてもなお、
怒りや憤りといった感情を
認知することができない。

何が必要か、
何が欲しいのかと
聞かれても、
まったく分からないことが多い。

状況に降参し自立を放棄してしまえば、
さほどひどい痛みを感じなくてもすむだろうと
思いこんでいる。

犠牲者は、
痛みにひたすら耐え、
他人の理不尽な行動に耐えることに
慣れてしまっています。

あなたはそうではありませんか?

日々の出来事や感情に対して、
無理な理屈で自分を納得させたり、
大したことではないと切り捨てたり、
あるいは、たんに事実を認めなかったりする
訓練を重ねることで、
自分自身から感情を切り離している。

こうした人は、
他人とつきあおうとしない場合もある。

一方、犠牲者であることを
周囲にアピールする場合もある。

「私がどんなにひどい目にあってきたと思う?、
私にこんなことするなんて、
本当にひどい人たちよね!、
私はじっと耐えるしかなかったのよ」と
犠牲者でいることが、
生き方そのものとなっている。

安全や安心を得られるような行動を
とることができず、
さらに見捨てられたり
虐待される結果を招いてしまう。

特徴的なのは、
その人の、自己否定感が強ければ強いほど、
さらに自己否定感をもたらすような
相手を人生に招き入れやすい
ということが言える。

その相手は、
一見、能力があって行動的で、
一緒にいれば弱い自分を守ってくれそうな
感じの人なのです。

けれど、こうした二人の行き着く先といえば、
魅力的だった相手が
支配者となって、
犠牲者を情緒的にも身体的にも
打ちのめす結果になることが多い。

自己否定感の強い日とは、
繰り返し犠牲者となるキケンが大きい。

親の愛とは本来、無条件なもの!

●親の愛とは本来、無条件なもの!


こんにちは

心のスキルトレーニングコーチ

(兼)心理セラピストのかなざわです。

いつも、読んでいただいて

ありがとうございます。

今日は、親の愛情について考えてみましょう。

多くの親たちは、

子どもを自分たちの

都合でつくるもの

と思わざるえないような

大人が多いような気が

いたします。

「まちがって、できたゃった」

「子どもは産むものだから」

「家族をつくるのは当然だから」

「年をとってから、さみしいから」

など、自分たちを中心に考え、

産んだほうがいいかどうかを

本当に子どもを中心にして

じっくりと考えることは

少ないようです。

こんなこと

いちいち考えて、思って

子供を産んでいる

でしょうか。

愛し合っているから当然

だとも思っています。

本当に「愛」でしょうか??

単なる「性欲」??

結果、

生まれてきた子どもは、

大人の道具として扱われたり、

親の心理的欲求を満たすために

なってしまうことがままあります。

親の子どもへの

愛情のように見えても、

実は親が、

自分を愛して欲しいから

溺愛するということもある。

親の愛とは本来、

報酬を期待しない、

無条件なもの。

子どものためだ、と言って

子どもにギュウギュウ圧力を

かけるのは、

本当の愛ではありません。

あなたに、

子どもがいたり、

これから子どもを

この世に生み出す

チャンスがあるのなら、

ぜひ真剣に考えて、

真の愛を与えて、

真の愛を与えられるように

なってほしいものです。

自分が十分に

満たされていないと、

無意識のうちに、

子どもに期待して

しまいます。

真の愛情を

得られなかった人は、

意識的に、

自分で自分に

愛を与えましょう。

また、

本当に自分のことを

思ってくれている

人たちとつきあうように

しましょう。

心理セラピー専門メンタルヒーリングルームのこころの悩み相談

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