アダルトチルドレンとは

親の愛とは本来、無条件なもの!

●親の愛とは本来、無条件なもの!


こんにちは

心のスキルトレーニングコーチ

(兼)心理セラピストのかなざわです。

いつも、読んでいただいて

ありがとうございます。

今日は、親の愛情について考えてみましょう。

多くの親たちは、

子どもを自分たちの

都合でつくるもの

と思わざるえないような

大人が多いような気が

いたします。

「まちがって、できたゃった」

「子どもは産むものだから」

「家族をつくるのは当然だから」

「年をとってから、さみしいから」

など、自分たちを中心に考え、

産んだほうがいいかどうかを

本当に子どもを中心にして

じっくりと考えることは

少ないようです。

こんなこと

いちいち考えて、思って

子供を産んでいる

でしょうか。

愛し合っているから当然

だとも思っています。

本当に「愛」でしょうか??

単なる「性欲」??

結果、

生まれてきた子どもは、

大人の道具として扱われたり、

親の心理的欲求を満たすために

なってしまうことがままあります。

親の子どもへの

愛情のように見えても、

実は親が、

自分を愛して欲しいから

溺愛するということもある。

親の愛とは本来、

報酬を期待しない、

無条件なもの。

子どものためだ、と言って

子どもにギュウギュウ圧力を

かけるのは、

本当の愛ではありません。

あなたに、

子どもがいたり、

これから子どもを

この世に生み出す

チャンスがあるのなら、

ぜひ真剣に考えて、

真の愛を与えて、

真の愛を与えられるように

なってほしいものです。

自分が十分に

満たされていないと、

無意識のうちに、

子どもに期待して

しまいます。

真の愛情を

得られなかった人は、

意識的に、

自分で自分に

愛を与えましょう。

また、

本当に自分のことを

思ってくれている

人たちとつきあうように

しましょう。

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「心の傷」を受け入れる

こんにちは こころのスキルトレーニングコーチ(兼)
心理セラピストの金澤です。

今日のテーマは、
私たちが幼いころから
正しくないメッセージを
自動的に刷り込まれていた
ということについて少し
お話ししてみたいと思います。

『心の境界』あるかどうかで
潜在意識の中の体験の意味が
違ってきます。
 

親が子どもの境界を尊重せずに、
境界に侵入するとき、
子どもには一人の人間としての
『価値がない』というメッセージを
受け取ってしまいます。

親が、子どもの境界を
認めないということは

「あなたは親である私のニーズを満たすためにここにいる」
「あなたより親の私が優先だ」
「あなたが自分なりの感情や、ニーズを感じるのはよくないことだ」

と言うメッセージを与えていることになってしまいます。

すると、子どもの中でこんな信念が形づくられてしまうんです。

「人とは別のニーズや感情をいだいてしまう私はいけないんだ」
「ありのままの私には、価値がないんだ。」

同じような場面を体験しても、
子どもの中にしっかりした境界がつくられていれば、
体験の意味がまったく違ってきます。

誰が、何に責任を負うのかが区別できれば
自分を傷つけるメッセージを信じこむかわりに、
拒否することができるのです。

・境界があれば、自己否定感の攻撃を受けずにすむ。
・境界がないと、見捨てられ体験は決定的な痛みを生む。

子どもはもともと、
親が間違っているとか、
親の行動は正しくないと
いったようには考えないものです。

子どもは、
自分にとって
どうしても必要な
存在である親を
拒否することは
できないんです。

その代わり子どもは、
自分が間違っていて、
悪いんだという重荷を
自動的に背負い込んで
しまいます。

そうすることで、
親の間違った行動を
なかったことにし、
少しでも安全を
感じようとするのです

その奥で本当は、
何が起こっているかといえば、
外側の安全と引き換えに、
心を危険にさらしているのです。

自分の価値を
育てて行くはずの時期に、
見捨てられ体験にさらされ、

しかもその子が、自分の中に
境界を確立するチャンスがなければ、
見捨てられたことが
すなわち「自分に価値がない」と
言い聞かされることと同じになります。

それは、自己否定感と、
怖れを作り出します。

この事実は何度も
確認しておく必要があります。

なぜなら、
それが私たちの
「痛み」の
根っことなっているからです。

私たちが今、
知っておかなければならないのは、
見捨てられ体験も境界の侵害も、

決して私たちの欠点が
原因ではないし、
私たちが無価値だからでも
ないということです。

そうではなく、
私たちを傷つけた人の
間違った考え方や、
誤った信念、
不健康な行動が
そこに現れているだけです。

それでも、その傷は、
子どもの心と思考に
深く刻まれて、
私たちは今も
その痛みを感じています。

癒されるためには、
心が傷ついた原因を理解し、
受け入れ、浄化することが必要です。

それをしない限り、
痛みは去らず、
おとなになってからの
人生を引きずりまわすものとなります。

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失恋が怖い理由

現代の若い人達を見ていると、自分たちが恋愛をしていると思っていても、自分と相手の愛し方を常に量りではかって、相手の方が自分を好きでなければ損だと思っているように見えて仕方がない。

バランスのいい状態になるのは難しい。

恋愛といっても相手の自分に対する愛し方と自分の相手に対する愛し方は同じとは限らないのである。

しかし、最近の若い人たちは常に相手の方が自分の事を好きであってほしい傾向が強い。

自分が相手を好きであるよりも、好きでいてほしいのである。 

愛するよりも愛されたいという心理が強いのは、心理は失恋を恐れるからである。   

人間の気持ちというのは、はっきりと目に見えるわけではない。

かりに、物や形のあるものを要求する。

だから、愛しているのならば、「クリスマス・プレゼントにティファニーのペンダントが欲しい」とか「もっと雰囲気のある、お店に連れて行って欲しい」と要求する。

いつも自分が得をしたいし、相手から愛されていると思えることで、自分に自信を持つことが出来る。 

自分が傷付きたくないという心理がどこかにある。

まり、自分の方が相手を愛していて、こちらの方のバランスが重くなってしまったら、自分の方が相手にしがみつくことにもなる。

そして、もし相手が自分から離れて行くことになったら、傷つくのは自分の方だと考えるのである。

プレイボーイの男性が女性と別れたい場合に、うまい別れ方というのは、自分から別れ話を切り出すのではなく、相手から切り出すように仕向けて、自分が振られた役割をする。

そうすれば、相手の自尊心が傷つかずにスムーズに別れることが出来る。しばしば女性は、その相手との関係が壊れそうな場合には、自分の方から別れる。

つまり、その関係を引きずっていると、結局は相手から振られるのがわかっているので、自分の方から相手を振って自分の自尊心を少しでも傷つかないように防衛することがある。

本当に恋愛をしたら、そんな駆け引きなどはどうでもよくなってしまうもので、本当に別れたくないのならば、時には相手にしがみついてもいいではないか。

何をしても、駄目になるものもある。そこで失恋をしたら、自分は何て不幸なのだろうと思うかも知れない。

自分は一生立ち直れないのではないかと思えるくらい打ちひしがれる事だろう。 また、失恋をすることで、自分が嫌になってしまうことがあり、もはや自分のことを素敵だとも思えなくなる事もある。

愛されることによって、「自分は素敵だ」とか「俺はいい男なんだ」と思えていたものが、全部ひっくり返ってしまう。

失恋することを恐れる心理は、自分が可愛いいから、また、自分を守ろうとし過ぎるから生じるのである。勿論、誰でも人に嫌われるのは嫌なものである。 

だから、いい子として振る舞おうとするし、また人に嫌われないほうが世間を渡っていくにも得である。

でも、時には自分の気持ちを貫いてみることだ。人に嫌われたり、人間関係に摩擦が生じることを恐れていても仕方がない。

いつもいつも、人から嫌われまいとして、いい子として振る舞っていたら、自分というものが失われてしまう。だから、もう一度自分を振り返ってみてほしい。

失恋という貴重な体験が人を大きく成長させる。

私は日常で自分を守ろうと、冒険を極力避けようとする人にしばしば出会う。

そんな人を見るとバリアを張って自分を守ってどうするのと言いたくなる。 失恋すれば、勿論傷つくし、不幸のどん底に落ちたような気にもなる。

でも、一度落ちたら、また這い上がればいいのである。

相手と自分の愛する量を量りにかけているような状態は、本当に恋愛をしているとは言えない。

愛というのは、そんな計算をしても計算など吹っ飛んでしまって、勝手に気持ちが動いてしまうものなのである。 

もし、そんな計算をしていられるのならば、それは恋愛ゲームとか疑似恋愛と言えるようなものでしかない。

失恋などしたことがないという人は、かえって不幸な人生を送っている。 それは本当の恋愛をしたことがないと言えるからである。

一瞬であっても、恋愛のきらめきを体験したならば、例えその恋愛が失恋という結果に終わったとしても、とても素晴らしい体験をしたのである。

失恋の痛手から立ち直った時には、きっともっと素晴らしい自分になっているはずである。「恋愛は人間を成長させる」と言った心理学者もいる。

また、女性は異性との関係で自己の成長を確認するとも言える。

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