こんにちは、メンタルトレーナーの金澤です。
自分がひとりなこと、
体温を身近に感じさせる相手がいないこと、
コミュニケートできる相手がそばにいないこと、
対話の相手がいないこと
あなたもこんな『孤独感』を感じながら日々をすごされてきていることでしょう。
こういった、『孤独感』はいったいいつ、どこから、どうやってあなたの中に入ってきたのでしょうね?
その、『孤独感』の根源は、母親や他の大人たちとの、幼少期の機能不全家族からの悪影響であることはよく知られています。
子供の頃、こんな経験はありませんか?
クリスマスから暮れや正月などに家族が集まる時期に起こっていたネガティブな思い出とか、
他の健康な家庭の家族たちとまったく違う、我家での混乱と悲劇の記憶のぶりかえし、比較して感じる劣等感でいあたたまれない気持ちになるなど、こういったことも、『孤独感』を覚えてしまうことになっていますよね。
そして、こういった深く痛ましい『孤独感』の歴史のはじまりから、だんだんと大人になるにつれて、無意識のうちにそれらを否認し、回避する手段をとるようになるんですね。
『孤独感』を感じたくないがために、何かに依存、執着するという行為に走ります。
恋愛依存、飲酒、喫煙、占いへの耽溺、収集癖、読書壁、ets・・・・・
依存行為をやめるとなにかしらの禁断症状がでるものはすべて依存行為になります。
別にやめても平気っていうのは、依存ではないんですね。
依存は、すべて『孤独感』からの逃避かもしれません。
よくよく考えてみると、、この「孤独感」は、「母に依存したくてもできなかった」という「依存の不完全燃焼」が大きな原因だったということが多々あります。
なので、この幼少期に傷ついた心が、孤独感となり、人によってアルコールや薬物やギャンブルや摂食などの嗜癖の問題にリンクしてしまうことは、もっともなことだといえるかもしれません。
共依存もそうですね、他者を変えたりコントロールしたりしようとすることもそうですね。
自分の孤独感と依存心と悲しさといたたまれなさを感じないためだったら、手当たり次第にいろんなものにしがみついてやろう、その結果、高慢な心で自分を防護しようとしてきたことは、責められるはずもありませんよね。
しかたなかったんです。
しかし、こういった高慢な心は、結果的に自分自身を滅ぼし、また家族や親戚のなかで、早死にしたり自殺したり、離婚したり、心の病で入院したり、ホームレスや行方不明になったりする人が必ずいるという現実が少なからずあるということもよく耳にします。
こういったことを見て、自分を見て、どうなっているのかを認識、自覚することは非常に大事なんですね。
自分を「見る」こと。
『否認』の欲望に負けず、専門の人の助けを借りて、協力してもらっって、神様に祈りながら、自分のありようを認識しつづけること。
「見る」ことを恐れていては回復はないかもしれません。
ただ、「見る」ことによってトラウマがフラッシュバックして、情緒に障害がおこったり、医師や専門家から「見る」ことを止められているような人は、けっしてひとりでは取り組まないでくださいね。
自分を見ることができる人たちは、見て感じて自分の過去・現在の事実を認識することで回復してゆけると信じましょう。
その継続が、やがては自分自身を『孤独感』の寒冷から救ってくれることと信じましょう。
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