私たちは、
何かを学び、
成長するために
生まれてきています。
なかでも学びが多いのが
人間関係です。
誰かに対して
「どうして!」と怒りを感じたり、
些細な言葉の行き違いで、
悲しい思いをしたり、
自分の気持ちをうまく表現できなくて
悔し涙を流したり、
もちろん誰かと気持ちが通じた時に、
この上ない喜びを感じることもあるでしょう。
人と出会い、
人と触れ合うことで
様々な感情を体験します。
「この地球上に一人きり」でいたらば、
自分の中にそんな感情があることを知らずに、
一生を過ごすことになります。
それは今世で様々なことが学べる機会があるのに
それを逃しているのと同じことになります。
では、様々な感情を体験することに
どんな意味があるのでしょう?
自分の中に
「その感情がある」
ということに気づかなければ、
それを浄化することはできないんです。
では、どうしたら感情を浄化したり、
手放すことができるでしょうか。
浄化のためには、
意識化する=気づく
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というプロセスが必要です。
では、自分の感情に気づくとは
どういう体験でしょうか?
たとえば、
後輩が明らかに、
非効率な手順で仕事をしているのを
見かけたあなたは、
「こうしたほうがいいよ」と、アドバイスしました。
すると相手に
「いえ、いいんです。このやりかたの方が早いですから」
と言われました。
するとあなたは、
この後輩に対してどんなことを思うでしょう。
「せっかく人が親切に教えてあげたのにその口の聞き方は何?」
「私は先輩として敬われていないのだろうか」
怒りや憤り、不満、自分を正当化する言い訳まど・・・
様々な思いが噴出してくるかもしれません。
表面的には、平静を装っていたとしても、
心の中はざわざわと波立って落ち着かないかもしれません。
ですが、自分の内側を
「見つめる」というトレーニングをしていくと
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こんなふうに思えるようになります。
「ああ、私はこの人に対して怒りを抱いている」
「相手には自分のやり方を通したい理由があったのかもしれない」
「”私のやり方が正しい””後輩のなら先輩を敬うべき”と思っていたけえれど、
他のやり方もあるかもしれない」
「私の中にも、”先輩らしいところをみせたい”という欲があったかもしれない」
こんなふうに、
自分の中にある様々な思い込みや感情に気づくようになります。
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もちろん、こんんふうになれるためには
それなりの時間が必要です。
怒りなど強い感情の渦中にいる時には、
「私は今、怒っている」ことすら気づけないものです。
でも、気づきをしていくうちに
その日の夜、
もしくは何日か経った後に、
ふとこんな「そういえば・・・・」という気づきの瞬間が
生まれてくるようになるんです。
その時、怒りに襲われて
次から次へと怒りの連鎖で
悪い思いを引き出して、
「何よ生意気な」
「人に恥をかかせて」
「勝手なやり方で失敗すればいいんだ」
などの思いが浮かび
「自分の中にこんな感情があったなんて自分は最低だ」と
自分自身にぞっとしたり、唖然としたりするかもしれません。
しかし、たとえどんなネガティブな感情であっても
それを経験することには意味があります。
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そうして他人に引き出してもらうことで
「これからも内面を見つめていかなければならないんだな」
と気づくことができます。
これが浄化の一歩になります。
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こうして気づかせてくれた相手に、
怒りどころか、
感謝の念すら湧いてくると本物です。
そんな風に思ってしまった未熟な自分をも認め、
許し、相手を受け入れることができるようになります。
このように、
「人とのふれあい」は、
あなたの見えない心に気づく機会です。
そして、浄化をいただき、
成長し、学ぶチャンスでもあるのです。