「完璧」に基準をおいてしまうのなぜ!

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こんにちは、
多次元心理理セラピストの金澤です。

本日のテーマは、「完璧に基準をおいてしまうのはなぜ?」です。

痛みをコントロールする事に
一生けんめいになる人もいれば、

痛みを生み出す状況を
コントロールしようと
試みる人もいます。

この人たちは、
痛みを取り去ったり、
そこから逃げたり、

癒そうとする試みとは対照的に、
痛みの原因をなくそうとすることに
望みをかけます。 

もし完璧に行動していれば
誰からも批判されないし、
だとしたら
これ以上傷つく理由も
なくなるはずという信念によって
あおられた考え方です。 

けれども子ども時代に
「どんなにがんばっても、
まだ十分ではない」ことを
学んでいる場合、
完全主義は、
自己否定感を土台にしています。 

その結果、
自分はこれでよいと
感じられるようにして
痛みの原因を
減らそうとする戦いは
限度がなくなり、

いつも人より優れているよう、
常に一番になるよう
邁進し続けることになる。

完全主義に、
凝り固まった人というのは
たいてい、
厳格で硬直的な
家庭環境に育っています。 

親に認められるため、
あるいは、
拒絶される不安を減らすために、
物事を「正しく」
やらなければならなかったのです。

そして「正しい」とはつまり、
間違いはひとつも許されない
という意味だったのです。 

完璧主義者のほとんどは、
心の中に限度というものの
感覚がありません。

自己否定感や怖れが、
四六時中背中を追い立てているので、
常に時分がどこまでやれたかを
外側の基準で計っています。 

子ども時代、
彼らは努力して
前に進めと教えられました。

一休みする時間も場所もなかったし、
喜びや満足を味わう暇もなかった。

 

完璧に基準をおくということは、
あなたは決して
そこに達しないということです。 

子ども時代におとなから
されてきたことを、
心の中で自分に
やり続けているのです。

 

いくらあなたが努力しようと
充分でなく、
よくできたと感じる体験を
していないのならば、

あなたは、
「どれくらいならよいのか」という
感覚を身につけていないはずです。

大人になった私たちは、
自分がかつてどんなことで
認めてもらおうとし、
感心を向けてもらおうとし、
ほめてもらおうと必死になってきたか、
気づく必要があります。 

私たちは全力を尽くしてきたし、
自分は本当にこれでいいのだと
理解することが必要なのです。

受け入れてもらえないと
感じ続けてきたのは、
私たちに価値が
ないからではありません。

外側から評価を下し、
拒絶するぞと脅かすことで
力を手に入れようとしていた人たちが、
こころにおいていった
残骸なのです。

子どもの時には、
わからなかったけれど、

今はそのことを
認めることができるはずです。
 

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