痛みに対する行動上の反応(Ⅱ)

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本日のテーマは「行動や関係への依存」です。

自己否定感と無力感を経験することは、
耐えがたい痛みとなります。

身体が痛むときも辛いものですが、
その痛みはいつか治まるでしょう。

けれど、自分が欠陥品だと信じ込んだとしたら、
治るということはありません。

恥に満ちた自己否定は、
希望を打ち砕かれた状態です。

どうにかして、この耐えがたい痛みを
やわらげなければなりません。

誰かが、あるいは何かが、
深い孤独や不安を取り去ってくれないと
どうにもならない。

だから私たちは、
気分を変えてくれる体験を追い求めるのです。
逃げ場が必要なのです。

特定の活動で自分を忙しくしていれば、
痛みや、怖れや、怒りから
目をそらしておくことができます。

人間関係への依存は、
ひたすら誰かとの関係の中で
自分の価値を確認しようとするものです。

それはつまり、
自己否定感をやわらげ
本当の自分に向き合うのを避けるために、
他人を利用すること。

セックスへの依存は、
痛みから目をそらしたり
痛みをやわらげるために、
性的な刺激利用するものです。

また、自分の無力感を克服するために
間違った方法で力を手に入れようとすることでもある。

セックスに夢中になることで、
私たちはその場だけのぬくもりや、
見せかけの愛を手にします。

あるいは、性的な行動で怒りを表現することもできます。
こうしたセックスの体験は、
私たちが愛され価値がある存在だと
一時的に保証してくれ、それでようやく、
自分が欠陥品だという思いこみと
折り合いがつくのです。

セックス依存者の中心になるものはさまざで、
強迫的なマスタべーション、ポルノへの耽溺、
露出癖、わいせつな電話、のぞき、
多数の人との性行為、買春、などです。

セックス依存症者にとっては、
特定の行動が性的な意味をもちます。

物や人を、自分の性的な妄想を通して見ている。

感情そのものにとらわれる場合もある。

本当の感情に蓋をし、
本当の感情を避けるために、
ある種の感情に依存していくのです。

怒り中毒になって、
すべての感情から逃げるために
怒りを使っているかもしれません。

また、怖れが私たちを圧倒して、
恐怖症や、神経過敏、あるいは不安が
人生をコントロールすることもあります。

依存行為が痛みから目をそらすための行動である限り、
それは私たちの誠実さを妨げ、
今を生きる力を損なう危険性があるのです

 

 

 

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